日本のサッカー競技はアマチュア主体のリーグである日本サッカーリーグ(JSL)が存在していました。しかし以前は、日本国内におけるサッカー競技自体の人気や選手の待遇がまだまだ低く、マスコミにもあまり大きく扱われるほどの存在ではありませんでした。

そのため、当時の日本サッカー協会は状況を打破しようと、1982年以降、リーグ主導の試合開催から各チームが試合を主催する自主運営に移行しました。

さらには初代Jリーグチェアマンとなる川淵三郎氏らが中心となって、国立競技場で開催する1989年2月26日のJSL後期リーグ開幕戦を無料招待試合にするといったアイデアを積極的に行いましたが成功しませんでした。

一方、水面下では森健兒氏らを中心として1988年3月から開催された「JSL第一次活性化委員会」が極秘裏に「サッカーのプロ化構想」を進めていました。しかし協会内部では「JSLの活性化」の点では意見が一致していましたが、「プロ化」に対しては、「プロ化は時期尚早」や「サッカーでは採算が取れる訳ない」などの意見によりほとんど進展しませんでした。

ところが、1980年代後半にFIFAからアジア初となるW杯の日本開催を打診されたこともあり、最終的にプロリーグ設立を正式に検討することを決定しました。

1988年10月から開催された「JSL第二次活性化委員会」においてプロリーグ構想が具現化され、日本初のプロサッカーリーグの「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)が発足しました。